酒とホラの日々。 -4ページ目

雨に願いを

夏花木
毎日毎日、猛暑と熱帯夜で
熱と疲れが蓄積されていく。
ひと雨降ってもらって、
一度地熱をリセットしたい。

天気予報は毎日、
「ところによっては雷雨の恐れ」と
期待を持たせることを言うのだけれど。

 夕立の 期待は今日も 裏切られ

 
 
 

できることなら毎日でもやってみたい

夏バッタ

耐え難い夏の酷暑のただ中にいて、
エアコンにも頼らずこの厄難を避ける唯一の妙法は、
やることがあっても働かず、
木陰の風通しの良いところにでもいて、
たまに冷たいものでも飲んで、
ひたすらのんびり過ごすことである。
 
南国の 大王となる 夏の午後
 
 
 

今年の夏の味わい方

夏木立2015


今年もついに盛夏に至ってしまい、
日本の夏らしい蒸し暑い毎日が続いております。
冷涼な土地に移住はもちろん、長期の避暑にも行けない私としては
毎度不快な暑さをいかに
やり過ごすかに心を砕いている(財布もはたいている)
わけではありますが、いいかげんネタ切れの今年は
暑さを暑いまま楽しむという方向に向かっております。

すなわち、
・扇風機・エアコンは迷わず使う
    (まあ温度は控えめに)
・暑いところへどんどん出かけて汗をかく
  (そのかわり一日何回でもシャワーを浴びて着替える)
・休日は昼寝する(それもタイルの焼けた暑いベランダで寝ると
         なんと岩盤浴効果がある!)
・ビールは心のガソリン
    (たしかに夏の暑さ何するものぞと言う気分になる)
・冷酒は食欲増進剤
    (夏ばてなどしない。もちろんしたことないが)
・泡盛は南国の香りのする夏の酒
   (もちろん通年飲んでますが)
・夏のワインはロゼ(辛口で軽くてさっぱり系が夏向け)

・・・なんだ、飲んでいれば暑さなんて関係ないのかも。
仕込みから夏越しの日本酒、「冷やおろし」の出回る夏の終わりが楽しみだぜ。




梅雨明け

梅雨明け2

 
梅雨が明けて、昨日までの湿気が残る地表に強烈な日差しが照りつけて
熱と湿度に倒れそうになった今日が今年の日本の夏の始まりの日。
 
息も絶え絶えなんとか倒れずに夕方を迎え
庭で植物に水をやっていると
葉陰から出てきたコガネムシが
暮れ色の空へ、沈んだ日を追いかけるように
ブン、と飛んでいった。

明日も晴れるらしい

夕暮れ









静謐にして厳粛な充実した孤独

団地
休みの日にはヒトケのないところに出かけていくことがよくある。
一時誰もいない海岸、森の中、休日や早朝のビル街や工場地帯は
束の間の現代の遺跡、パートタイム廃墟だ。

廃れて閉鎖されたショッピングセンターや
取り壊しが決まって住民の退去した団地などは
廃墟というよりも、現代文明の抜け殻か
あるいは私たちの社会を構成していた仲間の亡骸のようでもある。
 
そんなヒトケのない何ともうら寂しい場所を、
実は私は好む。

人のいることを前提とした場所に人がまったくいない
ある意味異常な光景かもしれないが、こんな場所に
思わずほっとして和んでしまう私である。
 
人の多過ぎる東京で働き暮らしているせいもあるかもしれないが
それが原因の多くではないだろう。
たとえ地方都市や田舎で暮らしていても
私は同じことをしているのではないか。
 
厄介な他人を避けて暮らすと言うのが私の後半生の
テーマでもあるけれど、決して人が嫌いなわけではない。
ヒトケのないところで人間の痕跡や活動の気配を感じ
そこに和みや落ち着き、安心を見いだしているような
ところがある。
 
人と距離を置いて人間の営みを考えてみる。
まるで幽霊か神様のようなものだが、
人間を入れる社会の容れ物だけがあって、
でも大勢の他人という雑音のないところで
たったひとりで社会の中の自分を考えるともなく
ただ思いの赴くまま感じてみる。

こんな時間は何かに反応したり言い訳をしたり
テレビやネットの情報に流されたりする時間とは
対極にあって、世の中でただひとりあることの
この上ない充実を感じる時である。




Fool in the rain

雨降りの葉
窓を開けて雨を眺めながらPCをたたいていると
雨音に深い癒しを感じることがある。
雨音の重なりはハードロックのギターフレーズにも似て
ノイズに近いのにどこか深いところで癒しをもたらすような
効果がある。

雨音の向こうに聞こえる木立の鳥の声
眼下をくるくると回って過ぎていく傘の色
まとわりつくようにひんやりと湿った空気が流れ込む
 
雨の休日、私は何をなすわけでもなく
ただ雨とだけ向き合う静謐な時間に
身をゆだねている。

・・・でも、
家の中でじっとしていることができる性格と体質ではないので
この後雨降り散歩に出かけて、
中から外から雨降りの野良犬のようになって
帰ってきたのでありました。
風邪引かなければいいのだけれど。
これでは雨中の愚か者である。
 
 

今年の暑さ対策

shop2

今年は休日の外出には半ズボンをはくことにした。
ハーフパンツお出かけの解禁である。
なに、今まで長ズボンしかはいていなかったのか、
と言われるかもしれないが、そうなのである。
これまで大人になってからの私は、
ほとんど長ズボンしかはいていないのである。

毎年私は何か新しい暑さ対策を導入しているのだが、
毎年ともなるといい加減ネタも尽きてくるので、
ハーフパンツはくことをいままでとっておいた、と云うこともある。
それと同時に、大人の男の半ズボンなど見れたモノではない、
何よりエレガントでない、と言う思い込みもあったが、
対暑ネタがなくなってきたと同時に、どうしたわけか、
あきらめがついたというか、
半ズボンへの抵抗がなくなってきたせいもある。

ヨーロピアンファッションはアンチ半ズボンかもしれないが、
ここは日本で、夏は熱帯に近い。
半ズボンはシックでない、大人っぽくないとか言う輩は、
日本から出て行くか、豚にでも食われてしまうが良い。
長袖長ズボンで汗まみれの方が不快である。
ここはヨーロッパではない、アメリカの男たちの潔さを見よ。

こうして宗旨替えを行った私はさっそく、
半ズボンを買いに行ったのだが、私はももが太い。
スリムなパンツはウエストに合わせるとももと尻がぴちぴちになる、
でもだぶだぶのデカパンははきたくない、
というような事情もあって、
品選びは難航したが、なんとか妥協策を見いだせた。

妥協策というのが、街中で海パン(サーフパンツ)を
はくという店側の提案なのだが、
なんとはいてみるとこれがまた具合がよい。
(サーフパンツはストレッチ素材なので)
ちょっと初めは戸惑ったが、
海パン自体、外着なのだからどこではこうと同じことである。

ただ、半ズボンをはくと、自然と足下が気になり、
それ用の靴も買うという余計な出費が伴ったのは予定外ではあったのだが。

こうして一連の行動を書いてみると
我ながらバカみたいだと思うが、とにかく半ズボンは涼しい。
脚を外気にさらすのは気持ちが良い。
 
とにかく今年も本格的な今年の夏をお迎えする用意は調った。

梅雨の中の休日

雨滴
昨日から降り始めた雨は、当初の予報に反し、
今日になってもむせぶように降り続いている。
重い雲が垂れ込める暗い休日の朝。

咲きそろった花木も雨水をたっぷりとまとい、
首を垂れるように傾いている。
のろのろとベランダに出て空を見上げると、
まとわりつくのは雨ばかりではなく、
一週間の抜けきらない疲れが
あちこちにまだ残っているのが分かる。

起きるのだけでももおっくうだが、
昼は外で食事をする予定だ。
これからのはっきりしない天気を思い、
ぐずぐずしながら今日着る服を考えていると、
顔に当たる霧雨が夕べの酒をほんのすこし
流してくれたような気分になってきた。 
さて出かけるか。
 
 
 

緑の風

6月の道
 
たっぷりと水気をはらんだ6月の空気は、今を一年の盛りとする植物たちから溢れ出す緑の生気をも大量に含む。 私はこの温かく湿った空気の中を泳ぐように移動し、穏やかな癒しと優しい活力を得る。

同時になぜか安心と懐かしさも感じることがあるのだが、ひょっとしたらほどよく暖かい湿った空気は、生まれたころに包まれた産着と母の吐息の記憶につながっているのかもしれない。いやいや、そうではなくて、誰でもほどよい暖かさと湿度を保った寝床というのは居心地がよいものだから、怠け者の気楽さにつながっていると云うくらいだろう。
 
梅雨時、よく私は生ぬるい空気をかきわけるように軽く自転車で走っていく。 すると身体の上を濃密な緑の風がまとわり付くように流れていくのと同時に、意識無意識のうちを、こんなとりとめもない想念が次々に湧いては流れ去っていくのである。
  
自転車は私にとってのいわば散歩機械とも言うべきものだ。
休みの日にはよく郊外の宅地からしだいに農地や林野へと変わっていくあたりを走って回ることが多い。最近は自転車ブームなのかポタリングとか称して私同様自転車散歩風の輩を見かけることも増えた。
 
どれも似たり寄ったりの、いかにもちょっとにわか自転車乗り風の連中が多いのだが、時折はちょっと変わった自転車カップルも見掛ける。たとえばよく見かけるのに、中年カップルの二人乗りなどというのもいる。もちろん公道では違反行為だろうが、中年カップルの堂々二人乗りというのは珍しい。

このふたりそれまでにも何度か見掛けたことはあるのだが、勤めか何か用事のある奥さんを亭主が大切に送っていくのだろうか、とにかく二人の発する睦まじさ、健気さ、ひたむきに思わず目を奪われ、自然とエールを送りたくなってしまうほどなのである。

一生懸命自転車をこぐ男の腰に女性が腕を回して、後ろに横座りして髪とスカートの裾をなびかせて行くのは、なんだか古い映画のワンシーンのようだ。

昨日もまたこんな風景にも出会い、いっそう気分が良くなっ私は、さらに樹叢のトンネルを抜け、石畳の小道を走り、いくつもの畑や木立の脇を通って、緑の風ととりとめもない想いにひたってきたのである。

だがやがてそんな自転車散歩も終盤に向かい、そろそろ帰路に向かおうとしたとき、ロードサイドのある建物の敷地内にある自転車に目が止まった。その建物は派手な外観をしていかにもすぐにそれとわかるある種の休憩所もしくはホテルの設備を備えたところである。国道から引っ込んで草むらや荒れ地に隣接して必要のない車や人もあまり通らず、人目を忍ぶニーズにはよくかなっているだろう。

ふと目がとまったのは、その敷地内の顧客用駐車場にあったのは、あの二人乗りカップルの自転車だったのである。
映画のようだと思った、あの中年二人、昼間からいったいどこに急いでいたのか。そういえば女は途中で乗ってきたと言っていたような。男はいつも焦って目が血走っていたような。ひょっとして二人は夫婦や普通の恋人ではなかったのか。

あれこれ考えると健気なカップルもにわかにどろどろした事情が、(あくまで想像だが)浮かんでくる。実はあの二人はそれぞれに家庭を持っているのだが、人目をはばかる大人の交友関係にあり、証拠の残りそうな車での逢瀬を避けて、毎度自転車で辺鄙なところにあるホテルへ行ってはことに及び・・、いやいや、想像するしかないのだが。
 
どうやら6月の風が生気をかき起こすのは、なにも植物ばかりではないのである。




冬至


年も押し詰まり、歳末のせわしさと狂騒は
ますます激しくなって小身を苛む

雑踏を抜けてふと気がつくと
短い冬至の日がまさに暮れゆこうとしていた

地上の騒々しさを離れた冬空は
静かに一日の終わりの残光をたたえていた

   喧噪も忘れて暮るる静冬至

  冬至