酒とホラの日々。 -82ページ目

老けない!、(場合によっては)若返る、アンチエイジング (女性編)

先日70代女性と話す機会があり、ものすごく歳が違いながら、大変話は面白く、「あんたら若い人も年寄りの相手は負担だろうけど、年寄りも年寄りは嫌いなのよ。」と言いながらこんな話をしてくれました。

何のことはない、老人症特有の振る舞いを避ければ若々しくなると言うことなのですが、女性においてはズバリ、「身の上話をしないこと」。身の上話と言っても自分の人生における苦労の軌跡とかいうものでなく、口を開くとまず昨夜のおかずの話に始まって、私の若い頃は何してたかまで話さないと気が済まないような人のことです。いやー確かにいますねそういう人、会社でも扱いに一苦労です。フランスでは「女は若いのがいい。なぜなら身の上話が短いから。」という話があるとも聞きますが本当でしょうかね。

あめの朝、緑を眺めて楽天イーグルスの勝利を期待する

本日は雨の朝を迎え、久々にゆっくりしたできました。
雨は空中の塵を鎮めてくれるだけでなく、俗気にまみれた外の世界を隔てる柔らかなベールとなって、自分の内面を振り返るきっかけとなる気がします。まさに気分一新。
雨に濡れた緑はきれいで生気に満ちていますが、雨が上がったら園芸家(というほどのものでもない)には多忙な季節です。病害虫との戦いの始まりでもあります。


ハーブには病害虫がつかないなどと言う人もいますが、全くの「迷信」ですね。わが家の一角には嫁さんの無計画に植えたハーブの畑(雑草畑?)もあって、自家製ゆえに極力農薬は使わずになんとかする努力をしていますが、冬場以外はまるで「害虫の楽園」!?

さらには肥料やりも難しい。去年は某園芸指導書のとおりに有機肥料を施したところ、大量のナメクジの襲撃を受け、連日連夜の捕殺作戦を敢行する羽目に。今年は無機肥料を検討中です。


とか書いているうちに晴れてきたようですので、午後は本屋巡りに出撃です。

書店街には「ブックハンター」と呼ばれる人々が徘徊していて、これは主にはオジさん(じいさんが多いか?)大量の本をかかえたり背負ったりして本屋のはしごをしております。本を読むことよりも本を手に入れる事に執着するコレクターが多いらしいのですが、出版書籍流通業界を支える興味深い人たちです。学生の時分には気にならなかったのですが会社に入り何年かするうちにこれが気になるようになってきました。機会があったら優雅な読書ライフの極意でも聞いてみたいところです。

毎日同種の人間と一定の目的で行動する会社中心の生活において、読書は自らの「蒙」に気づかせてくれるお手軽な手段ですからね。

それにしてもあとは楽天が勝たないと、胸張って酒が飲めない。積読ならともかく、買い置きの酒だけが増えるのはなんて言うのでしょうかね。(ブツブツ)。

セパ交流戦始まる。「楽天対巨人」。低迷する人気との戦い。

楽天対巨人第一ラウンドは巨人の勝利に終わったようですが、どうも世間は日本最弱チーム決定戦だとか、試合そのものよりもなにやら残酷な視点での関心が高いようにも見受けられます。それが世間の目にさらされるプロの興行(=見世物)というものであるという見方もありましょうが。


弱肉強食の世の中にあって、他者の落ちていくさまに喜びを探す世間にはもはや優雅な楽しみ方をする余裕がないのか、それともプロ野球には優雅な楽しみを提供する力がもはやないのか、ちょっと気になりました。



サッカーワールドカップ予選「日本対北朝鮮」はこうなる!

平壌での北朝鮮対イラン戦の暴動の制裁は、「第三国開催」と、「観客なし」ですか。

もちろん応援団も拍子抜けでしょうが、試合する選手も気合が入らないかもしれませんね。しかし、関係筋から入手した話によると、実は今計画中なのが、テレビ会議システムを応用した「テレビ応援」。試合会場に巨大ディスプレイとスピーカを何台も設置して日本各地の応援風景を流すわけです。


問題は北朝鮮側も対抗措置をとって、ほぼ同数のディスプレイを設置しそうだと言うこと。まあこれは本来アウェーだったのに(仮想観客が)同数になるのだから、良いとして、本当に問題なのは応援の中身。北朝鮮側の計画では国外での実施をいいことに、純然たる応援の映像だけでなく、日本選手側の戦意をそぐような「試合妨害映像」を流すらしいのですね。反日デモや日本非難のニューズ、過去の日本チームの敗戦映像に加え、美女軍団や喜び組のサービス映像で日本選手の集中力を削ごうということまで計画していると言うのです。


さらに問題は日本側にもあって、仮想応援計画は民放局が一手に行なうため、応援映像にも「スポンサーが存在する」と言うことです。だから第三国の試合会場に流れる映像は国立競技場や街角に集う純然たる日本サポータの映像だけが流れると言うわけにはいかなくて、スポンサー企業のロゴや、選手向け保険の勧誘、某政治家のイメージ映像や、某宗教家の顔のアップ等々盛りだくさんになりそうなんですね。


さらには人のいないのをいいことに相手国側の応援放送設備への妨害機能も備えたタイプの応援機械も用意されているらしいというのです。つまり無人の観客席では応援設備対応援設備の戦いが行なわれる可能性があるのです!


無人の観客席に居並ぶディスプレイとPAから溢れ出す様々な映像、音響、闘うロボット。コイズミ君を大映しした機械が喜び組を映した機械に迫るが、ロボットアームで妨害プラカードを払いのけ、突き倒しにかかる。鳴り響くトンマなCMメロディと勇ましいアジ演説。一方で黙々と進行するサッカーの試合。。。なんだかとってもシュールな光景が出現しそうです。


ロボット同士が乱闘騒ぎを起こしたら、次の国際試合は第三国・観客なし・放送もなしになるかもしれませんねえ。

楽天イーグルスの敗戦に学ぶ

西部松坂を攻略して連敗ストップ!したと思ったら岩隈でまた黒星。。。楽天が勝った翌日は酒が飲めるなどというつまらない約束をした私には、干天の慈雨のごとき酒にありつけたのももう遠い昔のような(昨日のことですが)気がするのでありました。


嫁は、「あら、また負けた。これじゃまた飲めないわねえ。残念ね(薄笑付き)」、とか気楽なことを言っておりました。こんな態度に出られると、いつもの私なら前日の勢いで「なんだその言い方は!うるさい、これが飲まずにいられるか。」てな具合になし崩しに飲んでしまうところでありますが、今日の私はこれまでとちょっと違っておりました。


私「酒なんかどうでもいい。楽天の奮闘ぶりには何か心を揺さぶられるものがあるじゃないか。世間の同情とプロ野球の敗戦記録への嫌味な期待が入り交じったような中で戦い続けなくてはならないつらさは普通ではないだろう。自分にどんなに不利な状況でも耐えて頑張らなくてはならない時がある、それは会社や人生も同じだ。勝ちだけや負けだけなんて事はあり得ないんだから、次に勝つ者は、負けをいかに受け入れて次を考えるかを知る者だと言える。今の楽天には人生における敗戦の意味を教えてもらうような気分だね。だから私はこの清々しい気分だけで、今日の酒なんか問題じゃあないね。」


嫁「なに言ってんだか、よくまじめな顔でそんなことが言えるわよね、きのう大酒かっ食らって今日は二日酔いで飲みたくないだけのくせに。明日の酒は問題なんでしょ?」

私「う」


・・・今日のやり取りは(表面的には)どうも私に分が悪かったようですが、このブログでは、二日酔いもまた酒の上での楽しみのひとつであることを、私は強調いたしたい!



(同様のことを井伏鱒二だって言っている!、と嫁さんに言ってやろうと思いましたが、やっぱりやめておきましょう。楽天の敗戦と二日酔いの関係をこじつけるネタ、二日酔いの頭には思いつきませんでしたので。)

がんばれ!楽天イーグルス!!

断っておきますが私はここ何年も日本のプロ野球には関心がなく、まして楽天イーグルスについては今シーズン前にはなんの知識もありませんでしたし、ましてファンでもありません。せいぜい私の好きな泡盛の名産地久米島でトレーニングキャンプをしたということを聞いたくらいなものです。それがいまや楽天イーグルスのい動向からは目が離せなくなってしまっております。


ことの始まりはあるうららかな春の日、嫁さんの一言、「あんた最近飲みすぎだ」
・・・そうかもしれないなあ。朝はなかなか起きられない上に胃もたれがして、「ああ、やっぱり今日こそは酒は控えるぞ」、と毎朝嫁さんに宣言するのですが、晩には嫁さんのあきれた目もなんのその、「男には飲まねばならないワケがある」と必ず飲んでいる私でありました。そう、男子たるもの男の事情による酒を無視してはいけません。男には、月曜で気合が入らなかったからとか、今日は風向きがが悪いからとか、おかずの魚の目つきが悪いからとか、悩ましい問題が山積しているのです。


そんな事情の尽きない私にあきれて、嫁さんが酒を飲む日の条件を提示してきました。「楽天イーグルスが勝った翌日は飲むことにする」(移動日はオプション)

「ははん、野球か。優勝するチームでも六割は行かないけれど、どんなに弱くても勝率で4割弱くらいのことでありましょう、普通で二日に一回なら節酒の目標としてはいいかな」、と思ってこれを受けた私が甘かった。


なんとこのところ十一連敗ですからね、だからずいぶん酒にご無沙汰になってきました。
昔は職業野球規則で勝率が.350を切ったチームには罰金が科せられると言うことがあったとも聞きます。.350に満たない数字と言うのはそれくらい異例なことなんですね。ところが楽天イーグルスの勝率はいまや.185!(4月27日現在)、これ本当に野球の勝率か?と思うほどで、ならしても5.4日に1回の健康生活!?
男の事情を強調してきておきながら、ここで簡単にルール変更はかっこ悪いので、なんとかうまい手はないものか。。。郵政民営化法案提出に抗議するということではどうかなあ。。。むむむ。

私、愚民化教育受けました

先日私の先輩が「 我々の受けた教育は、近代史や政治や宗教に目を向けないように仕組まれたとも思う。経済優先!他のことは考えるな!とね」、としみじみ語っておりました。


なるほどその通りだと思います。考えるのはお上の仕事。一般大衆は知らなくてよろしい、考えなくてもよろしい、と言うわけですかね。


我が身を省みてもなんだか成功してますね、日本の愚民化政策。


してみると学校教師って当人達の意識はどうあれ愚民化政策の先兵なんですよね。私も昭和史なんてろくに習った覚えないし、宗教や情報アクセスのリテラシーなんて皆無でしたしね。


一部エリート(高級官僚)が支配する高度な国家支配体制。これはいったいいつ頃からか考えてみたら、江戸時代まで遡りました。つまり、日本は21世紀になっても徳川家康の呪縛からまだ抜け出せないのですね。しかし江戸時代260余年間、戦乱はなくなったわけなので、ひょっとしたらこの体制は案外悪くはないのかも知れません。


でも昭和の初めに日中戦争から太平洋戦争を経て亡国の淵までいってしまったのも突き詰めれば、(軍事)官僚が権力握って経済と癒着して暴走したためですからねえ。


そういえば近代日本40年周期説というのがあるそうですね。
これはつまり、、、、
江戸時代末期、幕藩体制にガタがきて、明治維新に至るあたりを起点として、急速な近代化を経て国家一丸となって日露戦争に勝利し、悲願の不平等条約改正が成ったあたりまでが興隆期。


次いで日露戦争の勝利に慢心し、バランス感覚を欠いたまま迷走し第二次大戦に突入し日本が死の淵に瀕しどん底まで行ってしまう没落期。


その後アメリカ軍占領から開放後、冷戦の狭間で戦後復興を果たし、ウサギ小屋に住みながらも世界に冠たる経済大国とおだてられるまでが第二次興隆期。


そしてバブルがはじけて低迷入り、犯罪率・自殺率は急上昇、社会不安のつのる新たな貧困の時代でこの先どこに行くのかわからないながらもとにかく経済優先で突進するのが今の日本で第二次没落期途中というところでしょうか。


どうですか、各期に年号を重ねてみると確かにおよそ40年くらいですねえ。でもバブルがはじけてまだ十数年しか経ってませんし、この先さらに悲惨な運命が日本を見舞う、果たして日本の行く末は・・・・という昼メロの次回予告のようなところで本日は御免。

春色書籍迷惑記

過日神保町に本買いに行きたり。
とある店のポスターにカワイイパンダの写真集があったので入る。
パンダの写真を見た後ふと目を上げると、何と成人向け資料の店なり。
普通(に見える)おじさんお兄さんの出入り多数。
狭い店内ですれ違うときもおじさんは道も譲らず、出入りも本の品定めにも全く遠慮なし。
兄さんらはまだ社会常識のカケラ有り更正の期待あり。おじさんらはもう人間廃業気味。

これが世に云ふ「厚顔のエロオヤジ」かと判ず。
余は慌てて、店を出るも、通りがかりの婦人と危うくぶつかりかけこれを避ける。
当の婦人は余の顔と店を交互に眺め、フンっと言う顔をして通り過ぎぬ。
「違うんだー、余は違うんだー」と心の中で叫ぶも後の祭り。。。


無芸十八般

拙者、長年の切磋琢磨自己研鑽厳しい修行の甲斐あって、今では諸芸に秀でたひとかどの無芸者となった。

大食の術
惰眠の術
大酒の術
健忘の術
怠惰の術
浪費の術
居眠の術
大糞の術
無駄口の術
大笑の術
彷徨の術
遅刻の術
その日延ばしの術
積読の術
三日坊主の術  etc.

しかし、こんな大人になるはずでは・・・

他人事ならおもしろい

『古本迷宮』喜多村 拓 / 青弓社

古本屋と蔵書家の日常と交わりを中心に綴られたエッセイと小説集である。
軽妙な筆致のためか小説風に仕立ててあるためか、この前に読んだ『古本屋の女房』よりは「度を越した大変な本好き」の日常も読んでいて気が楽である。
おびただしい蔵書もたまに処分しなければ整理がつかなくなる。本の谷間で死にたくなる。本と言えど所詮モノはモノ、棺桶までは持っていけない。
願わくば私は優雅な読書生活を送りたい。