好奇心がジンルイを救う
仕事にせよ世間にせよ厄介な人間関係はどこにでもついて回るもので、
ストレスを引きずらないで暮すというのはけっこう難しいものです。
せめてオフの時くらい職場のあれやこれやは忘れて
自由な広い世界に心を遊ばせたいものですけどね。
仕事のかかわりなど小さなこと、世界は広い、とは思っても、
なかなか気分の切り替えが上手く行かないことも多々あります。
もやもやとした気分引きずって過ごすオフタイムは
ストレスの再生産を繰り返しているようなもので、
心身とも参ってしまいそう。
なんとかストレス世界を瞬時に脱して、興味尽きない広い世界に
一気に飛び出すことはできないものかと
常々考えておりましたところ、
先日ふと寺田寅彦先生の文を見かけました。
まさにこれが狭い世界に捉われた心にふたをして、
多様な興味と感心にスイッチを入れてくれる魔法の言葉。
好きなもの イチゴ 珈琲 花 美人 懐手して宇宙見物。
すばらしい、世界は好奇に満ちている、
好きなものはなんだっていいのです。
好きなもの 花見月見に雨雪見 昼寝湯浴みに日なかの一杯
これでは小原庄助さんと変わらないかもしれませんが。
ストレスを引きずらないで暮すというのはけっこう難しいものです。
せめてオフの時くらい職場のあれやこれやは忘れて
自由な広い世界に心を遊ばせたいものですけどね。
仕事のかかわりなど小さなこと、世界は広い、とは思っても、
なかなか気分の切り替えが上手く行かないことも多々あります。
もやもやとした気分引きずって過ごすオフタイムは
ストレスの再生産を繰り返しているようなもので、
心身とも参ってしまいそう。
なんとかストレス世界を瞬時に脱して、興味尽きない広い世界に
一気に飛び出すことはできないものかと
常々考えておりましたところ、
先日ふと寺田寅彦先生の文を見かけました。
まさにこれが狭い世界に捉われた心にふたをして、
多様な興味と感心にスイッチを入れてくれる魔法の言葉。
好きなもの イチゴ 珈琲 花 美人 懐手して宇宙見物。
すばらしい、世界は好奇に満ちている、
好きなものはなんだっていいのです。
好きなもの 花見月見に雨雪見 昼寝湯浴みに日なかの一杯
これでは小原庄助さんと変わらないかもしれませんが。
冬雨の予兆
関東の冬は毎日ひたすら乾いた穏やかな晴れが続く。
経済活動には好都合だろう。社会活動に雪降り雪道のデメリットは半端ではない。
だが、毎日晴れた空に休む間もなく煽られるように活動していると
どこかで一息入れて立ち止まり振り返ったり足下を見たりすることを
忘れているような気がすることもある。
太古、洞窟暮らしをしている頃から、人は晴れた日には食料採取に出かけ
荒れた日にはじっとこもって雨をやり過ごしていたとすれば
これは心がけの問題と言うより、自然の一部としてある人間の
天然自然の摂理である
雨が外と内を緩やかに隔てる柔らかなベールとして
日ごろの喧騒から自分を一時隔離し
内面に目を向けるきっかけになることが確かにある。
晴れて穏やかな日もよいが、自分と静かに向き合う
冬の雨の日が今は恋しい。
歳末、夕時、逃げていく空
世の中は年末モード一色。歳末商戦の脅迫めいた広告があふれ、欲求は尽きず、やるべきことは多く、結局は後悔ばかりが残りそうな気ぜわしさがつのります。早くどっか逃げ出したいものですが、塵芥のような勤め人の身の上は俗世を離れることが許されません。
私はごくたまに、望遠鏡を持ち出したりして、夜空を見上げて世間の気ぜわしさを逃れ(たような気分になり)、浮き世の憂さを一時忘れようとすることがあります。冬の夜空は空気が澄んで星空散策には具合がよいと言うこともあります。
ところがナントカ彗星だのが話題になると、空の上まで商売やニワカ天文家でごちゃごちゃしてくるような気がして一気に興味が失せたりもするものです。実際は自分が星空を眺めることに何の差し障りもないはずですが、要するにへそ曲がりなのでしょう。
今年のアイソン彗星は観測の好機を前に蒸発してあらかた無くなってしまったとのこと。別に快事というわけでもありませんが、天地の巡り合わせの妙、人知・人の思惑となんら関わりを持たない天体自然の動きにちょっと興趣を覚える出来事ではありましたね。
今日もゴチャゴチャの人間社会の上に冬の空が悠々と広がっております。
急速に日の落ちる冬の夕暮れ時は、時間の経過に伴う空の変化が早く大きく、わずかな時間でも様々な表情を観測することもでき、様々な感慨に出会える時でもあります。歳末の忙しい毎日の中、夕時にほんの少し空を眺めてみるのも悪いことではありません。
冬のカモメ
この日、空は晴れわたって冬の日差しが明るく照っていたものの、その下では冷たい風が強く吹きつけ、海は暗灰色の水面を不気味に高くうねらせていた。
空はあっけらかんと晴れているものだから、この日も穏やかな天候のうちと勘違いしてしまいそうだったが、実際のところ北風と高い波のどこか不安な落ち着かない気分をもたらすような日だったのである。
そんな寒風の中で海を眺めていたのだけれど、あちらこちらの波の間にカモメが浮かんでいるのが見えた。カモメにしても黒くて荒い海は不安なものだろうが、強い風に飛び立つわけにもいかず、必死で水面にしがみつくように浮かんでいたのかもしれない。
いつもは気楽に見えるカモメもこんな日はさぞ厄介なことだろうなどと思いつつ、しばらく海を眺めているうちに、なんだかカモメと自分と同じような境遇に翻弄されているような気もしてきた。
風当たりの強い世の中で思うように飛び回ることもできず、かといってそんな社会から離れるわけにも行かず、世間の荒波の間に必死で何とか浮かんでいるのはなにもカモメだけのことではない。
がんばれよ、と胸の内でひとこと、カモメにつぶやいて、北風の吹きすさぶ中を帰ってきた。
空はあっけらかんと晴れているものだから、この日も穏やかな天候のうちと勘違いしてしまいそうだったが、実際のところ北風と高い波のどこか不安な落ち着かない気分をもたらすような日だったのである。
そんな寒風の中で海を眺めていたのだけれど、あちらこちらの波の間にカモメが浮かんでいるのが見えた。カモメにしても黒くて荒い海は不安なものだろうが、強い風に飛び立つわけにもいかず、必死で水面にしがみつくように浮かんでいたのかもしれない。
いつもは気楽に見えるカモメもこんな日はさぞ厄介なことだろうなどと思いつつ、しばらく海を眺めているうちに、なんだかカモメと自分と同じような境遇に翻弄されているような気もしてきた。
風当たりの強い世の中で思うように飛び回ることもできず、かといってそんな社会から離れるわけにも行かず、世間の荒波の間に必死で何とか浮かんでいるのはなにもカモメだけのことではない。
がんばれよ、と胸の内でひとこと、カモメにつぶやいて、北風の吹きすさぶ中を帰ってきた。
ルー・リードのいない世界
ルー・リードの訃報に接したのは会社の会社の休憩時間だった。
「なんてこった、ルー・リードが死んじまったよ」
Twitterに即物的な感想を書き込み、私はまた仕事に戻った。
ルー・リードを初めて聞いたのは友人の紹介による「ベルリン」で、そのあと聞き込んだアルバムはライブ・イン・イタリー、ニューヨーク、ナイト・ウィズ・ルー・リード(ニューヨークのライブビデオ)ぐらいなもので、ベルベット・アンダーグラウンドも知らない私は決して熱心なファンだったわけではない。
それでも私のいい加減な岩石生活(ロックを中心とする音楽生活)の中で、彼はそれなりに重要な位置を占め、昨今は年齢とともにそんな感慨がますます大きくなっていったところだった。
もちろんこれは単なる一人の往年のロックスターの死。年寄りが一人順番にいなくなるべくしていなくなっただけ。ファンが泣き叫んで棺に花を投げるには、みんな年をとりすぎているし、そもそも彼はジム・モリソンではない。
確かなのはもう新作は出ないと云うこと、でも遠巻きに彼を眺めた不熱心なファンの生活は彼なき世界でもそんなには変わらないだろうと云うことだ。
彼は暴力やドラッグ、社会矛盾などタブー視されがちな世の中の断片を詩の中で取り上げて音楽とともに作品化して独自の世界観を提供してきた。これが大きな支持を受けてきたのは、作品の芸術性云々や社会の非主流へのまなざしと云うよりもむしろひょっとしたら、単にアウトロー的なものへのポーズとしてのあこがれと、彼の知的な佇まいが第一の理由かもしれないとも思う。
大多数の反抗する若者もいつしか社会のマジョリティーに組み込まれ、うんざりしながらも生活のためこの世に居場所を確保するため、納得性があるなしに関わらずストレスと不満を抱えて愛想笑いややけ酒やグチの充満する毎日を会社や世間の中でなんとか過ごしていることだってある。
露骨に不満をぶちまける奴はたちまち居場所を失うだろう。世間・会社のマジョリティーの同調圧力に刃向かうことは困難だ。その意味でひょっとしたら私たちの多くはマイノリティーのシンパか心情的マイノリティーである。
こう考えると、現代を生きる私たちがルー・リードとともに失ったものが見えてくる。
社会的のマジョリティーの中にひっそり生息している、心情マイノリティーや社会反抗派シンパの、深刻だが薄っぺらい欲求と音楽ニーズを満たしてくれるのは、いったい誰なのだろう。
翻弄されてものうのうと生きる
やっぱり、というか案の定、真夏並みから秋らしいところに気温が急降下。長袖着よう、靴下もはこう、ステテコ一丁はやめてズボンもはこう。・・それでも寒い。
昨日までは服飾売り場の秋冬物なんか見るのも嫌だったのに、今朝はもう冬支度のことを考えてうろたえている。暑さにも寒さにも軟弱のくせに、先のことも考えたくないナマケモノぶりのツケがさっそくやってきているのかも。
このとおり人間なんて、予想されたはずのささいな気温の変動ごときでばたばたしている位なので、ましてや社会や時代の波に翻弄されて流されていくのは当たり前すぎることなのかもしれない。
今日あるの気温のこと以上に、先の見通せない不安な時代を生きている私たちではあるけれど、まあ、先のことを気をもんで不安がっても仕方ない。なるようになると腹をくくって、たとえ何が起きようとも、たとえ大恥をかこうとも、のうのうと、ぬけぬけと生きていければいいと、季節の変動を前に開き直った今日の朝。
・・・でもやっぱり寒いものは寒い。今日は秋冬物のバーゲンに行くか。いいじゃないか流されて翻弄されて生きたって。
夏の亡霊と酒飲みの幸福
10月も半ばだというのにまだまだ暑く
連日30度を超える真夏のような気候が続いている。
一時は涼しくなったはずなのに、ぶり返し居座る暑さは
ことのほか体にこたえる。
また引っ張り出した半袖の夏服を着てふらふらと歩く私などは、
まるで間違って真夏世界に紛れ込んだ亡霊といった風情である。
とはいえ10月頃この時期ならではの楽しみと云うものもあって、
中でも夏を越して角が取れまろやかさを増した日本酒の出荷がある。
春先にできた新酒を夏越しさせて、
秋になって樽から出して出荷したものを”ひやおろし”と称して
季節限定で売っているものがあって、
これなどは独特の風味で季節の進展を感じさせてくれるのである。
よい酒に巡り会えたら長っ尻の夏の暑さも関係がない。
ただもう酒盛りだけが待ち遠しく、
暑い昼間でさ早く日が暮れ夕方になってくれるのを
ひたすら待つだけの通過時間帯なのである。
金と銀と
今年もはや10月にいたり、朝夕も爽やかで過ごしやすい時期になっております。温暖化のせいなのか知りませんが、ここ何年か続く極端に暑い時期と寒い時期を行き来する間のホンのわずかな良い時期といえるのかもしれません。
でも10月は年末の入り口でもありまして、勤めている人なら年末調整の準備だとか忘年会の計画だとか、年末年始の行動予定などを考えたり手配したりし始めないとならない時期です。
今年の年末年始はうまく休みが取れれば9連休くらいにはなる人も多いでしょう。そこを狙ってあの手この手で商売のネタにしようという業者も多いのですが、休みが増えたからと言ってもふところに入ってくるものが連動して増えるわけではないのですからこちらとしてもウカレてばかりもおれません。
「ちょっと、こんどの年末年始どうしよう?」
「うーん、長い寝正月になるね」
なんて会話がわが家ではせいぜいです。
寝正月は仕方ないとして、例年寝正月の入り口は年末に酒盛りをして、大晦日の紅白歌合戦を見ながら寝入ってしまって、気がつけばいつの間にか年が明けて、ああ仕方ないもう一度寝直そう、なんてところだったりするのです。(え?しない?、普通の人はそんなことないんですか)
そこでこんな会話をしておりました。
「この寝正月撲滅の敵は紅白歌合戦だな」
「別に嫌なら見なきゃいいんじゃない、テレビにはチャンネルもスイッチもあるんだし」
「でもなあ、年末なんて他に見たいものもないし年末の風物詩として一応つけとくというのがなあ・・・」
「どうせろくに見てもいないんだし、そもそも歌手だって誰が誰だか分からないって、テレビに文句言うのがいつものことじゃあないの」
「むむ、確かに芸能なんかにたいした興味もない私は誰が誰やら分からないのだけれど、そうだな、分からない歌手の出てくる国民的行事というのも何だかなあ」
そこから話が曲がって言ってしまったのですが、何でも聞くところによれば紅白歌合戦の積年の課題というのがあって、まず中高年は最近のアイドルや若いモンに人気の歌手のどれが誰だかわからないし、若者にしたって芸歴の長いだけの最近ヒットもない中高年の歌手が大御所ヅラして出てくる意味がわからないらしい、こんな世代間の断裂を感じさせる象徴のようなラインナップをさらに男女別に組み分けしてできばえを競うなんていう趣向はそもそも今の時代に合っていないのではないか?なんて言うところに話が転がって行ってしまったのです。
「そうだね、それならいっそのこと歌手を年寄り組と若者組に分けて競わせる趣向に変えてしまったらすっきりするかもね」
「うむ、それはいいね。紅白改め、金銀歌合戦とか言って、今をときめく若手歌手は金の卵のゴールドチーム、実績ある大御所(高齢)歌手はそのまんまシルバーチーム、ってね」
「その境目の設定はどうするのかしらね」
「まあ、本人の年齢だけで仕切るのはナンだから、本人の齢に加えてファン層の年齢かなあ、歌手年齢+ファン層平均年齢が70超えたらシルバーチーム、とかね」
「それだと、一見若手ゴールドチームと思ってもきわどいのが出てくるね、きっと」
「そう、若作りだけれど○MAPなんかも絶対シルバーチームになるだろうし、○OKIOなんてのもたぶん危ういかも・・・」
「ふーん、ほんとにチーム分けのリストなんか作ったら一部の歌手やファンが暴徒化するかも」
「毎年どっちの組に入るかで結構もめてそのドタバタが楽しいんじゃない?」
・・・こうして無駄な検討に秋の夜は更けていくのでありました。