本読みの年末の告白 | 酒とホラの日々。

本読みの年末の告白

 

今年手をつけた本は少なく、読み通した本となるとさらに少ないはずである。そもそも青年の部B(あえて中高年とはいわない)の進展と共に目が弱り、根気がなくなり、よけいな出費にけちけちするようになり、さらにいうならば本を置くスペースも惜しいという有様。その一方で新しい電子ガジェットには次々と手を出すのでとても本にまで時間と体力を通やしているひまはないのである。

 この一年に買った電子ガジェット・PCのたぐいは・・・いやその話はまた別途。

 

本はすいぶんと読んでいないような気もしたのだが、前回読んだ記録を見ると先月ボブディランの伝記やら重力波の話やらあれやこれやなにやら読んでいるようだから、そんなに全く読んでいないというわけでもない。ではなんで読んでいないような感覚があったのだろうかと考えてみると、おそらくは紙の本でなくて電子書籍で読むことが増えたせいではないかと思われた。確かに電子書籍はモニターの表面に現れるテキストをなぞっていくだけである一方、紙の本がまず本という物体を入手して、本の存在を肌身で感じ、ものとしての所有欲を満たし、手でページをめくって行きつ戻りつしては五感に訴えかけてくるものがたくさんある。

 そのためかどうか知らないが、電子書籍を読んだ後はあまり頭に残っていないような気もして、電子書籍リーダーを駆使して電子的なメモやしおりや傍線をつける作業もしているのだけれど、読んでしまえばすべて電子空間の向こうに霧と散ってお終いのような感じがする。

 そうなのだ、この感覚、ネットで様々な記事やニュースやまとめネタに触れてその場では情報欲が満たされたような気がしても、次のページに遷移するとすべて胡散霧消して何も残らないような、あの感覚とよく似ている。

 これはネット記事に慣れ親しみすぎた私の感覚が堕落してしまっているためなのか、それともネット記事も電子書籍も初戦はモニターの表面だけのことであってとても人間が深く読書体験をはぐくむような資質要件に欠けているということなのだろうか。

 ともかくこのところ私にとって読書ということについては量的にも質的にもだいぶ満足度が低下していることは確かなのである。

 

 そこで今読んでいる本の一つだが、井上ひさしの『道元の冒険』である。だいぶ古い作品のようで、既に紙媒体は新本の販売はされていないため、またしても電子書籍で読むことになったのだ。

 読み始めて気付くところはいろいろあったのだけれど、まずは道元と現代の犯罪者が夢の中で入れ替わるという仕掛けである。

 日本における禅の聖祖道元と、夢の中で入れ替わるのはあろうことか、現代の変質犯罪者である。個の聖と俗、高尚と卑俗が入り交じる設定はいかにも井上ひさしだなあと思わせるが、この夢入れ替わりのプロットは、今をときめく映画『君の名は』の重要な要素である。ああ、あの流行映画はこんなところからネタをパクっていたのかな。