私は何も考えなくはない | 酒とホラの日々。

私は何も考えなくはない

先日、新聞に「魂が風化する三分間」というコラムを見かけました。
どういうことかというと、たとえばカップラーメンはうまいが、
これを食う時にはどこか後ろめたい気持ちが伴うもので、
この何とも言えない、やましいような気分を魂の風化と呼ぶのだとか。

なるほどなあ、そう言われてみると、私などは魂の風化に
さらされる機会のなんと多いことか。
 
たとえば、PCやテレビの前でボーッと過ごすだけの私などは
自分で番組の意味を見いだすことばかりか
自分の欲求を見極めることすら忘れてしまっているような虚無感を
覚えることが確かにあります。
 
テレビの前で、あるいはPCの前でネットサーフィンして過ごすのは
安い快楽でもあるけれど、後ろめたくもあります。
 
ただ何かに身をゆだねていればこんなに楽なことはありません。
ネット通販のサイトなどは、大して疲れないウィンドウショッピングで
また、クリックさえすれば現実の商品を手元にまで届けてくれます。
そればかりか、私の好みや商品の購入傾向をしっかり学習して
次から次へと私の興味を引くような商品の提案までしてくれますから
用もないのにネット通販サイトを眺めることが
暇つぶしや娯楽になってしまっている人も多いらしいですね。
(私にもそのケがないとはいえません)
 
テレビやパソコンから流れてくる山のような情報に身をゆだね、
情報への反射的な行動で笑ったり怒ったり
何かを考えたような気分になったり、
実はそれって誰かの考えだったり欲望だったりを
自分の感情や判断であると勘違いしているだけだったり
しているだけのこともあるかもしれません。
  
モノも情報もあふれかえっているのに本当は何が欲しいのか
何がしたいのか分かっていないのかもしれません。
いつの間にかテレビやネット情報への反射的行動や衝動に
突き動かされるだけが、人間の存在のほとんどになってしまって
いるのかもしれません。 

こうなるとまさに個人個人は機械に使われるアホと化している
というか、知の担い手が個人から機械や市場の機構に
移ってしまっているわけで、こういうのを
身をもって知る「象徴的貧困」というのでしょうかね。
 
AmazonやituneStoreといった至れり尽くせりの
プラットフォームのサービスは
パソコンやスマホを通して流れ込んできます。
大画面テレビやパソコンに囲まれた生活は一見豊かですが
それは欲望刺激装置として、思考乗っ取り装置として
私たちを限りない貧しさに引きずり込んでいるのでは
ないでしょうか。 
その先に用意された私たちの未来は
本当にに豊かな世界なんでしょうか。

ちょっと暗澹たる気分になってしまいましたが、
象徴的貧困なんて言葉を使ったのでなんだか今日は
ちょっと真人間に戻るというか、
風化に逆らってタマシイを取り戻したような気分に
なりました。
 
この気分のまま今日は酒飲んで寝てしまおう。