『人体常在菌のはなし』と花粉症 | 酒とホラの日々。

『人体常在菌のはなし』と花粉症

実は、、、、
私は十数年来の重度の花粉症持ちであるとともに、
過糞症である。
花粉症は主に上から、涙、くしゃみ、はなみずに見舞われるものだが
過糞症はつまりその、下からよく出るのである。
三度飯を食えば大抵日に三度のお出ましとなる。
世の中にはずいぶん便秘の薬が出回っているようだが
糞詰まりは私には未知の世界である。
でも決して下痢してるわけではない。いつも出るのは色ツヤ固さとも
申し分のない黄金の造出物である。毎回量も多い。

「人体常在菌のはなし」 青木 皐 / 集英社新書によれば、
食べたものを消化し、吸収し、また、腸内で必要な栄養素を作り出すには
一人に百兆もるという常在菌の働きがぜひとも必要で、
健康はいかにこの常在菌のバランスをとるかということであり、
除菌・殺菌で過度の清潔指向の現代社会には問題が多いらしい。
常在菌にはよく知られた善玉菌・悪玉菌のほか、状況次第で
良くも悪くもどっちにでも転ぶ「日和見菌」が多数を占めているため
消毒一辺倒で菌の間のバランスが崩れてしまうためである。
従って菌との共生による免疫力の保全が重要なわけなのだけれど
免疫不全である花粉症の原因のひとつにも清潔すぎる環境が疑われている
というわけである。
また、水分を除いた大便の三分の二ほどは
腸内細菌なのだというのだが、日に三度も出てくる私の体内の
細菌たちはどうなっているのだろう?

ごくたまに極めて便通の良い男としてうらやましがられることもあるが
このために苦労することもあるのだ。
以前、雪の降り積もった晩、大酒を喰らって千鳥足で帰る時に猛烈な
便意に見舞われた。真夜中のこと、人通りもなかったが開いている店もなく、
町中で何とか始末するしかない。どこか、なにかと探すうちに、
事態はいよいよ切迫し、まったなしの状態に追い詰められた私は
尻をおさえて内股の千鳥足である国家の施設の敷地に駆け込んだ。
建物と建物の間には狭い余地があって、そこに降り積もった雪の中で
用向きを済ませて何とか事なきを得たのだった。
「ふ、危なかったぜ」
危機を脱した私は一仕事終えたような充足感とともに立去り際に
後を振り返ると、そこにはいつもにもまして巨大な成果物が鎮座していた。
「国の税金で何とかしてもらってくれ、おれはきっと高額納税者だから、うん」
動揺しつつ訳のわからない事をつぶやいて早々に立去ったのは言うまでもない。
かの君が春の雪解けまでには何とかなったのか、腐乱死体となって発見されたのか
残念ながらその顛末は知らない。

このように過糞症には過糞症のつらさがあるのだ。
過糞症も花粉症もできればかからないにこしたことはないのだろう。
私の趣味(?)の散歩のページを見ていたら、荷風症という言葉があった。
永井荷風の日記みたいな生活をする人のことかいな。
ん、同じ「××症」でもこれならいいね。