『セネカ 現代人への手紙』と『銀魂』 | 酒とホラの日々。

『セネカ 現代人への手紙』と『銀魂』

「セネカ、現代人への手紙」 中野孝次 / 岩波書店

ローマ時代の哲人セネカの手紙に解説を加えてまとめたものだが
大昔からまさに現代人に向けて書かれたのではないかと思われるほど
はっとする生き生きとしたセネカの言葉がわれわれをとらえます。

「金だの物だのは、真に自分のものではない。いくら惜しんでしがみついたところで、運命がその気になれば、いつでも取り戻してしまう。よき人生を送ろうとしたらまず時間をこそ惜しまねばならない。かき集め、大事に守り、
おのれ一個の魂のためにのみ使用せよ。」

こんな一節に感銘を受け、まさにその通りだった、と膝を打って立ち上がったところに、な、な、なんと「サマータイムの法案申請へ」と言うニュース。

私の理解するところ「サマータイム制度」とは省エネとか余暇の充実とかいう言葉を隠れ蓑に、一日に24時間しかない時間のうち各自の「個人的な時間部分」を「社会的な時間」に強制的に移転しようとする制度のことだとおもっております。

そもそも朝早出して余った時間をさらに生産に振向けようというのがその昔の導入の意図だったと聞きますし。

これまでも消費税やら国債乱発やらゼロ金利やらで個人の金融資産をどんどん国家や大企業に移転させられてきたわけですけれど、こんどは時間をもっとよこせというわけですね。惰眠をむさぼってないで働くか浪費するかして経済の発展(誰かの利益)に寄与せよ、というわけですか。

金を巻き上げ、時間を巻き上げ、この先も人間からの収奪がエスカレートしていって、「人間には腎臓や目玉が二つもあるのに効率的な利用がなされていない」というような議論が出てきて、臓器基金運用法とかが成立して一方の臓器を臓器基金に強制的に取上げられてしまうかもしれません。もちろん人体に残ってる臓器が将来万一だめになったら基金から一回は臓器が提供されるけれど、余剰な臓器は臓器基金が臓器移植ビジネスマーケットで運用するわけですね。
厚生省あたりの巨大利権になったりするかも。

そこでで思い出してしまった、「銀魂」 空知英秋 /集英社ジャンプコミック (連載中)

宇宙人天人(あまんど)来航から20年、ちょっと妙だが新撰組や宇宙人の跋扈する幕末の日本。
糖尿のおやじである主人公、何でも屋の銀ちゃんが家賃滞納、金欠極まって相方のバイト少年に言う。
「なあ、腎臓って二つもあってじゃまだとおもわねえか?」

ストーリーの流れではささいなシーンなのだけれど、今の日本だってこのくらい困窮してるのかもなあ、と妙に感心してしまったのでありました。